今の時代に一斉授業は適している?テクノロジー利用で実現する「生徒主体」の学習

学校の授業形式は、最近までは一斉授業が主流でした。

一斉授業は付いていけないし、眠くなるし、本やネットで独学した方が良かった!という人も多いのでは?

 

なぜこの一斉授業という形式は、長年変わることができなかったのか?

今の時代に適しているのか?

 

私の教員経験談も踏まえて解説していきます。

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今の時代に一斉授業?

 

日本における一斉授業の歴史は、100年以上前の明治維新から始まります。

もともとは庶民は寺子屋か私塾での個別指導が基本でした。

 

ところが西洋に倣って効率化を優先する一斉授業の形式に変わります。

同じ内容を多くの子どもに伝えるのは一斉授業が効率的です。

 

かつてはその教授法で国の生産性は向上していました。

50年ほど前の高度経済成長期の工業化社会ではモノを大量生産することでビジネス・国が成り立っていました。

そのため、組織から決められたことを素早く正確に、効率的に処理する能力に長けている人が評価され、その能力で一生仕事ができるモデルが成り立っていました。

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学校教育においても、大量の知識を習得して問題を早く正確に解くことが重視されていました。

その学校の勉強で養った能力で、その組織でも仕事ができていたのです。

 

しかし、現在の高度情報化時代では情報の更新が目まぐるしく起きます。

新たなテクノロジーが既存のルールや仕組みを変えます。

 

そんな時代に求められる力は、新しい価値観やルールに適応する力です。

自分で新しいものや仕組みを生み出す人です。

求められる能力はとっくに変わっているのです。

にもかかわらず、教育の見直しはさほどなされてきませんでした。

 

もちろん一斉授業が全て悪いのではありません。

基本知識の習得には一斉授業が効率的です。

 

ただ、一斉授業には時代が求める力の育成に向いていない部分もあります。

一斉授業では他人と議論したり、プレゼンテーションする時間をあまり取ることができません。

日本の教育が、時代に求められる能力の育成に遅れをとったのです。

 

一斉授業の教授法が受け継がれる仕組み

 

求められる能力が変わっても、日本の教師は教授法を変えませんでした。

変える気がないのではありません。

教師というよりも、文化が変わりにくかったのです。

 

教員になるためには、教員免許を取得します。

教員免許を取得する際の実習も、一斉授業が基本です。

実習先の先輩に習って一斉授業の型を習います。

もちろん、「守破離」のために型から学ぶというのは大事なことですが、その教授法以外を研究する時間が与えられません。

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学習目標を決定する教授法を選択する

という流れが自然ですが、逆のことがなされています。

一斉授業という教授法はすでに決められており、そこから学習目標を決定するのです。

そして、一斉授業を基本とする先輩先生から指導を受けた教員志望者は、一斉授業を基本とするのは自然なことです。

 

教員になってから教授法の見直しがなされればいいのですが、教員は多忙です。

現場に入ってからはなかなか新しいことを取り入れることはできません。

教員の怠慢ではありません。時間がなくて物理的に難しいのです。

 

ただ、一部の教師は自分の授業や教育観のアップデートを図ります。

外の研究会に参加し、情報交換をして変革の熱量を受け取ります。

やる気が出て自分の学校に戻って新たなことに挑戦します。

しかし、新たな取り組みは他の先生に受け入れられなかったりして、学校全体に普及することは稀です。

 

教育観を変え得るのはテクノロジーの導入

 

現在、教育現場に変革が起きています。きっかけはテクノロジーの導入です。

様々な動画授業が学校に導入され、必ずしも先生が一斉授業をしなくてもよくなりました。

むしろ、生徒個々のレベルの合った動画授業はより効率的に知識の定着を可能にしたのです。

 

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さらに、時代に求められる力もテクノロジーで育成できるようになりました。

他の人と意見を交換したり、プレゼンテーションをしたり、新たなものを生み出すことができます。

 

加えて、インターネットの利用が学校内でも許されるようになり、生徒は先生や教科書以外からも自由に情報を取得することができます。(今までいかに学校が情報に関して閉鎖的だったのか

 

 

こうなってくると、先生は自分の役割を考え直します。

私もそうでした。

今までは大量の知識を効率よく教授することや、一斉授業で分かりやすくて面白い授業をすることが先生の価値だったかもしれません。

その大部分はテクノロジーが代替します。

 

これは残念なことではありません。

むしろ喜ぶべきことです。

なぜなら、先生は本来、生徒に知識を習得させたかったのではないと思います。

新しい時代を生き抜く力を身に付けさせたかったのです。

 

この力はテクノロジーだけでは完全に身に付けさせることはできません。

人による介入が必要です。

知識の習得はテクノロジーに任せて、先生はテクノロジーにはできないことをすればいいのです。

オンラインの学習が一般的になっても、先生の役割は重要です。 

 

 

 まとめ

 

かつての労働モデルでは生産的だった一斉授業の教授法も、今の時代では非生産的です。

もちろん、生徒の探究心を刺激する魅力的なものや、基本知識の教授を目的とする一斉授業はなくなりはしませんが、それだけでは子供たちが次の時代を生き抜く力を育成することはできません。

 

教授法や教育観の見直しは何度も議論はなされてきましたが、一度走り出した教育の制度や文化を変えることは長年困難でした。

 

しかし、現在ではテクノロジーが教育現場に導入されたことにより、変革が起きています。

子どもたちの学びが変わりつつあります。

同時に先生の役割も見直されてきています。

 

子どもには次の時代を生き抜く力を身に付けてもらい、先生は役割を少しだけ変えて、子どもの学びをサポートする併走者になることが求められています。

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